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【穴】「余暇」という呪われた言葉が自分の配役を「労働者」に定着させる

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人生の中における仕事と余暇、僕たちはどちらを優先するのか?

僕たちの人生を構成するライフスタイルは、仕事・家族生活・余暇の3つの要素。その内、「仕事」と「余暇」の関係性や考え方について言語化に挑戦してみる。僕たちが「北のセオリー」を下に、「資本家」という「配役」を目指す際に重要となる概念でもある。

「労働のための余暇」という言葉

 

「仕事」と「余暇」の関係性を考える前に。俯瞰レベルを一つだけ上げて考えてみることがある。それは・・・そもそも「余暇」とはなんぞや?ということだ。

世間一般的に言う『余暇(よか)』とは?余暇(よか)とは、一日のうち労働の合間に生じる空いた時間のこと。休息時間とも言う。

労働を中心とした一日の生活の中では、仕事の合間に生産労働の効率を維持するため肉体的疲労を癒す食事や休息の時間が設定される。

食事時間は休息時間を兼ねることが多く、休息時間にも間食が行われることもある。

余暇の時間を、趣味・旅行・スポーツなど、どう自分のレクリエーションに使うかということで、余暇の創造という事が語られる。

余暇は、人が自分自身を取り戻し、また活発に仕事や過程での雑事に立ち向かうための活力を養うためのものである。

・・・という形で、巷では「余暇」という言葉が使われている。

孔明:「なるほど。」

現役サラリーマン時代の僕であれば、「余暇」にまつわる社会一般的とも言えるこの解釈に、ウンウン「余暇が大切だよね!」とか考えて、ただ相づちを打っていたことだろう。

けれども、「地下ソサエティ」に属し、北野会長より『手のひらの表と裏』を学んだ後の僕は変わってしまったようだ。

俯瞰レベルを高めた視点から、物事の本質を見通す力を、習得してしまっているのだから・・・。

すると、12年間のサラリーマン時代では、まったく見えてこなかった、「余暇」という言葉の、違う側面が見えて来てしまうのだ。

「余暇」という言葉には、「労働のための余暇」という形で、必ず「労働のための」という言葉が、「余暇」という言葉の後ろにひっそりとつきまとっていることに気づく。

「労働者」としての立場から見ると、「余暇」というものは、「労働の合間の息抜きの時間」・・・的に、一生懸命「労働」するからには、「当然の権利だよ!」的に考えてしまっているかもしれない。

けれども、次の一節を見逃しがちになる。

「労働を中心とした一日の生活の中では、仕事の合間に生産労働の効率を維持するため肉体的疲労を癒す食事や休息の時間が設定される。」

「労働者」の常識に沿って読むと、当たり前のことかもしれないが。違和感を感じてしまう。

少しだけ一部の言葉を、変えて見ることで、その「違和感」というものが、より明確になってくる。

「労働者に対して、労働を中心とした一日の生活の中で、賃金時間当たりの生産労働の効率を維持してもらうため、仕事の合間に肉体的疲労を癒す食事や休息の時間が設定してあげる。」by資本家

・・・似たような文章かもしれないが、「資本家」視点の言葉に、少しだけ変換しただけで、「余暇」の正体というものが、浮き彫りになってくる。

「余暇が重要だ」という理論の恐怖

巷では、「余暇が重要だ」とよく言われている。けれども、「余暇が重要だ」という言葉に、心地良く感じてしまったとしたら、それはとてもとても危険なのだ。

そもそも、「余暇」という概念はもともと、「奴隷制度」から来ている。王は前世から王だっただから今世でも王だ。一般人は前世から一般人だった、だから今世でも一般人だ。

奴隷は前世でも奴隷だった、だから今世でも奴隷だ。過去から現在に、現在から未来に、時間が流れている概念を採用し、徹底的に植え付けることより、発生してしまった「奴隷制度」。

奴隷を使う側の人間が、奴隷がすぐに死なないように、最も効率的に働き続けてくれるにはどうしたら良いか?

長年に渡る、実験と検証の繰り返し、多くの奴隷の屍の上に、ようやく判明したことは、奴隷は、何日間か働いたら、何日間か休ませてあげた方が、効率的に働き続けてくれるし、死ににくい・・・ということだった。

さらに、一日という単位でも、一日何時間働いたら、何時間休みを入れると、、奴隷は効率的に働き続けてくれるし、死ににくい。

奴隷はただ働き続けるだけではなく、「余暇」が必要だという考えが生まれた。

それが、奴隷制度が廃止され、「資本家」と「労働者」という相対関係へと変わった今日も、「余暇」という概念が、脈々と続いている。

さらに、この際、「神」と「宗教」という概念を導入することにより、

牧師:「神はいつも奴隷であるあなたでさえも、無償の愛と共に見続けてくれている。

  

神はあなたに対して、勤労であり続けることを望まれている。そして神が、勤労であるあなたに無償の愛と共に与えてくださったのが、余暇(レジャー)である。

余暇(レジャー)が楽しめること、神に感謝しながら余暇を過ごしなさい。」

・・・という、「情報時空」上の認識を、奴隷労働者の方々に「神様が与えて下さった」ようだ。。。

 

「余暇」は英語で、「レジャー(LEISURE)」と言う。ラテン語の「(神によって奴隷に)許された時間」「(神によって奴隷に)与えられた自由である時間」という言語が由来になっている。

神が奴隷労働者に与えて下さった特別な時間ということで、神秘的な要素が加わったわけだ。

「神」という存在は、本当に「支配する側」にとって便利だと僕は個人的に思う・・・。

「余暇」という単語は、「奴隷労働からの余暇」。過去の支配する人間と、支配される人間の関係性の中で生まれた、いわくつきの言葉なのだ。

だから、その単語を、僕たちの日常に取り入れて使っていたとしたら・・・「情報時空」上の認識力が、後押しする形で、自らの風水的なものを、現代の奴隷的な「労働者」の「配役」であり続ける可能性が、高くなってしまうのではないだろうか?

「資本家」の配役獲得のために捨てる言葉

もしも人生の中で、生き方そのものを変えたいのなら・・・。奴隷的な「労働者」としての「配役」ではなく、「資本家」としての「配役」を獲得したいのであれば・・・。「奴隷労働からの余暇」という歴史と意味が込められている、「余暇」という言葉を捨て去る。

代わりに新たな「概念」を、インストールすることが、近道なのではないだろうか?

「奴隷労働からの余暇」・・・は今の時代は、大げさな表現だとしても。

「労働からの余暇」

 

「仕事からの余暇」

大多数の人間が、普通に使っているありふれた言葉。けれども、もしも、「資本家」としての「配役」を、獲得する決意を固めた場合は、これらの概念を、使わないほうが良いのでは無いだろうか?

それと共に・・・「いつかは自由に」という発想。

・お金を稼ぐ時はお金のため、お金が稼げるようになった後で趣味・遊びをやるという考え。 ・60歳になって定年退職を迎えるまでは、マジメに仕事を続けるけれど、定年退職後は趣味・遊びをやるという考え。

こういう考え方も捨て去る必要があるのではないだろうか?

仕事と余暇の『手のひらの表と裏』

「労働者」の「配役」ではなく、「資本家」の「配役」を獲得するということは、「労働」や「仕事」・・・経済的な行為だけを追求して行く人生を送ることから、外れていくという「矛盾」を受け入れることがイコールになってくる。

なぜなら、「資本家」にとっては、「余暇」という言葉と概念がそもそも存在しないのだ。

仕事と趣味・遊びの境界というものは、もともと存在しない。「資本家」は毎日、やりたいことだけをやっているのだから、趣味や遊びもやりたいことだけをやる。

趣味と遊びの中で、経済的対価が結果として発生する場合は、「仕事」という枠組みに後付的になるだけであり。経済的対価を得るために、趣味と遊びを仕事にしているわけでもはない。

趣味なのか、遊びなのか、仕事なのか、職業なのか・・・は自分自身の中では境というものは存在しない。

単に、第三者の他人から見て、どちらが趣味・遊びで、どちらが、仕事・職業なのか、枠組みを決め、ラベリングしているだけだ。「資本家」にとっての仕事とは、趣味・遊びである。

45年間、銀行からの「信用創造」を継続されて、「資本家」であり続けられた、北野物販大富豪こと北野会長も。

北野会長:「株は上がっても、下がってもすべてはゲーム!」

・・・と、さらりとおっしゃっている。「資本家」は仕事も、好きなことをやっているだけ。傍から見た時に、単にどちらが趣味・遊びで、どちらが仕事かを判断されているだけ。

「あなたの仕事は、趣味と遊びにしか見えませんよ!」

・・・と他人から思われるのは勝手。仕事も趣味と遊びと何の変わりもない。短期的に見た時、今月生きるための収入を考えた時、収入がすぐに上がる趣味と遊びが、仕事として定義されているだけ。結果論として収入が上がった趣味と遊びが仕事の枠組みとしてラベリングされるだけ。

実際のところは今やりたいことだけをやっているだけ。やりたいことだけをやる中で、自分の趣味と遊びが結果的に、短期的な金銭的対価をもたらすのか?

長期的な金銭的な対価をもたらすのか?まったく金銭的な対価をもたらさないのか?

組み合わせて自分がやりたいことをやっているだけ。たまたまお金が発生する場所で、ポートフォリオを組んでいるだけ。

・短期的に収入が発生する趣味と遊び
・長期的に収入が発生する趣味と遊び
・まったく収入が発生しない趣味と遊び

これらを、ポートフォリオとして組んでいるだけである。すべて、やりたいこと、趣味と遊びとしてやっている。たまたま周りから見た時、説明の原理として、仕事や趣味として分類してラベリング化されているだけ。

奴隷労働者にとっての「余暇」のように、趣味や遊びは、仕事の生産性を上げるために、やっているわけではない。

毎日仕事をすると壊れるからと、趣味と遊びをするのではない。

「資本家」にとって重要なことは、毎日すべて自分のやりたいことだけをやること。

それを、結果として収入が上がる具合に分けて、バランスよくポートフォリオを組んでいるだけ。

・短期的に収入が発生する趣味と遊び。
・長期的に収入が発生する趣味と遊び。
・まったく収入が発生しない趣味と遊び。

毎月ポートフォリオを調整しているだけなのだ。・・・以上のような形で、言語化させて頂いたが、いかがだろうか?

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